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LEGLABO 講師ブログ 2017年8月
Writingの指導
Speakingと同じでWritingに関してもAccuracy(正確さ=正しい文が書けているか)とFluency(流暢さ=短時間でまとまった文章が書けるか)があるのですが、どちらかと言うと教える側はAccuracyに目が行きがちになってしまうわけです(テストがあるから)。
でも教える側がAccuracyに偏ると、生徒は正しい文章を書かないといけないというプレッシャーがあるから実際に「書いてる」時間は極端に減ると思うのですね(考えたり、調べたりする時間が増えるから)。で、そうなるとなかなかWritingが上達しないという悪循環に入っているような気がするわけです。
長女が現地校にいた時、まだ英語が完全でない移民の子たちや、我が家同様、親が留学で来ている家庭の子女を対象に、国語の授業時間帯は別クラスに移されて、英語の特別授業があったわけですが、とは言うものの、先生の手配の都合からか、たまに国語の授業を一般のクラスで受けさせられることもあったらしいのです。ただ、小6ともなるとその授業内容は長女に理解できるはずもなく、その場合担任の先生は「自分の好きなことについて書きなさい」とか「日本のことについて書きなさい」とかその都度色々とお題を出して、文章を書かせていたそうです。当然、普段学校の授業見学などしていない私がなぜこういったことを知ったかというと、ある日部屋で長女が紙に何か書いていたので、見てみると簡単な英文(しかも文型パターンはだいたいどれも似たようなもの)で自分の好きなことや家族のこと、日本の友達のことをA4用紙に2枚ほどサラサラと書いているのを見て「へぇ〜」と思ったことがきっかけであったわけです。
何が「へぇ〜」かと言うと、その「流暢さ」であったわけです。文法的にもツッコミどころ(a/an/the抜け、何でも過去形はedにしてる、主語なのにMeで始めてるetc...)はあるし、文型も単調なのですが、かと言って意味不明なことを書いているわけではなく、ま、いわゆる自己紹介文としての体はなしているわけです。これを、私が傍で見ているかなりの短時間内でスラスラ書いているのを見て、ふと思ったのが現地にいる非英語系のヨーロッパ人(私の狭い範囲内ではスペイン人)の話しぶりです。
現地の語学学校に通っているというスペイン人の一人は、非常によどみなく英語が話せていました。ただ、よくよく聞いていると上記のような文法ミスはかなり見受けられるのですが、そんなことはお構いなしに話すわけです。そしてもちろん彼らの言ってることが意味不明ということはなく、ちゃんと言いたいことの概要はわかるわけです。何と言っても「会話が成立している」ことはコミュニケーションの基本でしょう。そのスペイン人と終始無言の日本人を比べて、現地でどっちが英語ができるかとなると一目瞭然となるのですが、そのスペイン人からすると、全然英語ができない(と彼らは思っている)日本人が英語圏の大学や大学院で学士や修士を取ることがアンビリバボーであるそうなのですが…。
話が少し脱線しました。
要は、陽気なスペイン人が英会話において流暢さを高めた決定的な理由は、何でもかんでも思ったことを英語で話すからにほかならないわけです。これを彼が話す傍から逐一「今のはaが抜けているよ」「今のgoedではなくwentね」「I don't happyじゃなくI'm not happyね」とかやってたら、多分彼は発狂するでしょう。よく巷で言われる、英会話スクールの先生が、生徒が文法的に間違ったことを言っても訂正しない、という理由はここにあるわけです。
これ、実は私、以前実験的にお願いして、身をもってやったことがあるのですが、最後の方はネイティヴの講師に憎悪の念まで芽生えました…(-_-)。実際の現場では、話し手は言いたいことがあるから発話しているわけで、相手に求めるのは共感であったり、アドバイスであったり、あるいはただ聞いてくれているというその存在感の実感とかそういったものでしょう。それを逐一文法的、語法的に訂正、修正されると「この人、私が今言ったこと聞いてくれてたん?」ってなるわけです。もちろん、講師側は聞いてたからこそ訂正、修正してくれてるんですけどね(笑)。実際の現場では話し手はそんなことを聞き手に求めてるんじゃないんですよね…。大人ですらこの有様ですから、就学児童や未成年の若者に同じことをやると「二度とこいつと話すか(●`ε´●)」となるわけです。
う〜ん・・・また脱線してますね。すみません。
ま、ブログなんでご容赦を。
って、当初書こうと思ってた内容が進んでないので、これまた次回に・・・m(_ _)m
右脳と読書と読解 その2
右脳と読書と読解 その2
前回のブログで「実は右脳をあまり使っていない活字中毒の人」のことが書かれた記事を紹介しましたが、この記事自体は特に受験を念頭に置いて書かれたものではなく、普段何気なく我々が行っている「読書」という活動をより良いものにするためには?というテーマに対してヒントとなる提言がいくつかなされていました。
その記事の中で、「
ここ、実はむちゃくちゃ重要な指摘だと私は思うのです。
この先生は「右脳を使って読書をすると、読んだ内容を映像化す
一般に入試の読解問題や、大学生であれば特にTOEICのReading Sectionを解いたことがある人は分かると思いますが
一方で、(ネイティブ、ノンネイティブ問わず)英語講師の中でも「リーディングのスコアを上げるためには速読が必要なのでは
とりあえず時間に焦って速く読むため、パッセージ自体は他の受験生よりも速く読み終わるかもしれない
そうなると、一通り読むだけなら他の受験生よりも速かったかもしれません
一方で右脳を活性化させた読書をくせづけると、
実はこれ、大学入試ではまださほど実感しにくいかもしれませんが(現行の入試では読解問題の中に文法問題や語彙の問題を絡ませたりするものも多いため)、
ただ、実はこれも口で説明してもピンときてもらえないことが多い
右脳と読書と読解 その2
右脳と読書と読解
以下のサイト、なかなか興味深いことが書いてあって「たしかに!」と思うところがあり、ひとまずもっともこういう内容が響くであろう(?)受験生に見せてみました。
特にこの先生が言われている「活字中毒の人は読書の際にあまり右脳を使っていない」という指摘、思い当たるフシがかなりあるわけです(^_^;)。
というわけで、今日はこの記事の紹介だけで…。
また時間がある時に、これがどう受験と関係があるのかを書きますm(_ _)m
Critical Period Hypothesisその3
3回にわたって女優Yuhoさんのことを取り上げてきましたが、今日はその後日談です。
授業でCritical Period Hypothesisに関する入試問題の英文を読んだあと、私自身、このYuhoさんに興味を抱いたので早速ググってみたのですが(当初、漢字の名前がわからなかったのでYuho Ymashitaで検索しました)、すると以下のような動画がヒットしました。
Billionaire Ransomという(多分)日本未公開の映画からの短いカット版なのですが、2分ほどの動画ですので、一度御覧ください。
この動画を翌週の授業の最初に、何も事前説明をせずに見せたのですが、一人の生徒が「先週の長文に出てきた女優さんですか?」と気づいたので、そうだと伝え、動画を見てどう思ったか感想を聞いてみたのですが、だいたい皆おしなべて「普通の日本人が話している英語とわかる発音だ」とか「海外で活躍している日本人というからもっとネイティブっぽい発音かと思った」などといった感想だったのですが、それをもう少し突き詰めていくと、
「こういう普通の日本人ぽい発音でも海外のドラマや映画に出られると知ってちょっと自信が付きました」
というものでした(^_^;)。
ここ、実はとても大きな気づきだと思うのですね。
ややもすると、もちろん日本も含めて東アジア人は「ネイティヴ」信仰が強い傾向にあるように思うのですが、それがために自身の英語レベル(特に発音)に関してもネイティブ(=日本の場合アメリカ英語)っぽい発音ができないといけないという呪縛にかかっているような気がすごくするわけです。
でもこのYuhoさんもCritical Periodを過ぎたら限界があるよと言ってるように、あまりにそこにこだわりすぎると逆効果しか生まないかなとも思うわけです。
また、イギリスで暮らしてみて初めて痛感したことですが、向こうに行くと当たり前ですがアジア系の顔、アラブ系の顔、アフリカ系の顔をして完全に「ネイティブ」の発音で英語を話す人なんていくらでもいるわけです。つまり、人種的には多様であるものの、国籍はイギリスの人たちですね。そういう人たちはたとえ仮に名前がTaroであったとしても、そのアイデンティティはイギリス人であるわけです。
ここでようやく英語と自身のアイデンティティの問題が出てくるわけで、そういう中身がイギリス人のアジア系、アラブ系、アフリカ系の人たちとは別に、むちゃくちゃ自国の言語のなまりが入った英語を話す中国人 やサウジアラビア人やマラウイ人という人たちもいるわけです。つまりその人達のアイデンティティはイギリス人ではないわけなのですね。
で、それは非常に重要なことなのではないかと向こうで暮らしてみて思ったわけです。確かにDo in Rome as the Romans do.(郷に入れば郷に従え)精神は大切なのですが、何でもかんでもあちらに合わせてしまうと結局それは同化と同じで、「本来あなたは何者だったんですか?」という問題とも大きく絡んでくるように思うわけです。
そういう意味でも外国語習得において守るべきラインというのは、コミュニケーションがちゃんと取れる正確な発音で話せることで、生徒曰く「ペラペラのユーチューバー」みたいな発音ができなくても全然OKだと思うわけです。なぜなら我々の第一言語は日本語であるわけですから。
因みに、件の入試問題の後半に書かれていましたが、非常に訛の強い英語を話す俳優として、シュワルツネッガーやアントニオ・バンデラス、ペネロペ・クルス(残念ながら現高3生はいずれの俳優も知らず…(-_-;))の名前が上がっていましたが、どの俳優をとっても言ってることを理解する上で障害になることは何もなく、なんなら大半の日本人は上記指名されている3俳優が非常に母国語の訛が強い英語を話すことすら知らず、「ガイジン」ぽい顔をしていると言うただその理由だけで、彼らの映画を見ながら英語の発音練習をしてることすら十分ありえたりするるわけです(^_^;)。ま、そこまで行くと流石にちょっと自虐的でもありますが…。
ま、このあたり、日本の親御さんにはなかなか共感して頂きづらい点であることも重々承知はしているのですが、生真面目な日本人の性格が凶と出るような発音ネイティブ信仰はメリット・デメリットで言うと、デメリットの方が大きいような気もするわけです。
そのあたりも少し念頭に置きつつ、以下の動画を見てもらえたらと思うわけです。
(因みにこれは完全に余談ですが、楽天やソフトバンク、ユニクロの創業者の英語スピーチもネットでググれば簡単に視聴できます。また「英語なんてできて当たり前」とかなり手厳しい大前研一さんの英語も相当母国語の影響を受けた訛が入った英語です。でも、私はそれで全然問題ないと思うわけです。彼らにとって大切なのはネイティブっぽい発音で話せることではなく、英語でこちらの要求or意見を通すor理解させることであるわけですから・・・)
Yuho Yamashita-a clip from pinewood film "Billionaire Ransom" from Yuho Yamashita on Vimeo.
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