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LEGLABO 講師ブログ  2018年1月

私立の進学校などでも...

英語の授業で率先して洋楽を題材として取り上げている学校が少しずつ増えてきているような印象をここ最近特に感じます。まぁ「今の流れ」に非常に沿った指導だと思うわけですが、特に私立の学校において、です。

こう言うと、「昔から英語の先生は洋楽を題材にしていたやん」と言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、もちろんそのことはわかった上で、ちょっと違うニュアンスで最近の動きを感じているわけです。以前であれば、英語の授業中に洋楽を取り入れると言うと、どちらかと言えば公立中学校で、英語に慣れ親しんでもらおうとか、英語アレルギーをなくそうみたいな試みとして、まずは「楽しい」「面白い」というイメージをつけさせるために洋楽を扱う、というような意味合いだったのだと思いますが、今回書いている内容は少しそれとは違います。

とりわけ進学校と呼ばれる学校でもこの動きが少しずつ出てきている感じがするわけです。加えて、我々の世代だとどうしても「英語の授業中に洋楽」と聞くと、ビートルズとかカーペンターズとか、あるいはスタンド・バイ・ミーとか…まぁそんな感じをイメージされる方もいるかもしれませんが、これもちょっと違うわけです。具体的にはJustin BieberとかTaylor Swift、Ed Sheeran等々、最近旬のアーティストの曲が選曲されてるわけです。(ビートルズの大ファンである私が言うのもなんですが、今の中高生に「英語の素材としてビートルズ」はあまりに短絡すぎるというか(-_-;)、まぁ、今の中高生にとってポールはもう下手したら「ひいおじいちゃん」なんで、普通に考えて「カッコイイ」とか「トキメク」存在ではもはやないわけですよ…)

で、進学校でこういうアプローチを取る学校が少しずつ増えてきていることに驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんし、中には「そんなことやってて受験は大丈夫なん?」と不安に思われる保護者の方もいらっしゃるかもしれませんが、個人的にはこれ、凄く良い方向性だと思うわけです。

基本的に、知的好奇心の高い子ほど例外なく洋楽の歌詞はストレスなく興味を持って食いついてきます。また、洋楽は「教育的配慮」といった「大人の事情」なんか一切考慮してくれませんので、まぁ教育的にはちょっとどうかなと思うような内容もお構いなしにガンガン出てきます。つまり「生の英語」(外国語教授法においてはこういうのをauthenticな素材と言ったりして、基本、外国語指導における素材はこういうauthenticなものであるべきだ、というのが国際的なスタンダードではあります)というわけですね。まぁ授業で取り扱う分にはちょっと注意が必要な場合もありますが、完全に「あぶない」ところをとられてしまって無毒化された英語(=全然オモシロない)ではなく、ちょっと危なっかしいところもあるのですが、そういう部分こそが、多分思春期の子供たちは「オモシロイ」と感じるのだと思うわけです。で、「オモシロイ」と感じた子はあとは放っておいても自分でなんやかんや調べたり歌ったりするわけで、そういうことを普段やっていることが何よりも英語力の底力につながるなと思うわけです。

また、生の英語というのは、外国語として英語を学習している人間の英語力など一切考慮してくれないため、こういう英語に頻繁に触れている生徒というのは「温室」で英語を勉強してる生徒とは若干違うわけです。 スラングなんかはまたちょっと特殊なので置いておいたとして、例えば英語の歌詞に結構よく出てくるのは文法的には間違っているが、ネイティブは普通に使っているような英語です。例えばこんな英文…。

I don't need nobody else.

これ、この一文単体であれば、not(−)とnobody(−)という否定語(−)が2つ入っているので、マイナス✕マイナス=強いプラスとなるわけなのですが、洋楽の歌詞では意外とこの「原則」を簡単にやぶってくれたりするわけです(^_^;)。すなわち、本当はプラスの意味なのに、マイナスの意味で歌っているという…。文法的には「他に誰も必要じゃないわけじゃない=必要」という意味であるにも関わらず、歌詞の意味としては「他には誰も要らない=私ひとりで大丈夫」みたいな。

これ、文法でガチガチに勉強してきた子(=頭カタイ子)というのは、文脈無視でそのまま自分の文法解釈を当てはめて誤訳するか、文脈にちょっと意識が行く子は「なんかおかしい」と混乱するかのどちらかなのですが、ま、基本的に間違った文法であってもネイティブが普通に使うことなんていくらでもあるわけで、日本語でも「全然」と来たら文末は普通「ない」で結ぶのが文法的には正しいわけですが、最近は「これ、全然おいしいやん」みたいな表現、普通に言いますよね?それを文法的に間違ってるから教えない、というのがまぁいわゆる温室育ちの英語学習者を育てるわけであるわけです。で、こういう無毒化された英文ばかりに触れている温室育ちの英語学習者はとかく、サバイバルには弱く、イレギュラーな英文が出てくると急にパニクる傾向にあったりするわけです。

一方で「あんまり勉強はしないくせになぜか英語が好きorそこそこできる」子って昔からいたと思うのですが、このパターンの子って小テストとか単語テストみたいな機械的暗記を要求されるものはからきしダメなんですが、実際に英語でコミニュケーションをさせてみたり、あるいはリスニング問題だったり、あるいはそこそこの英文を読ませた際に結構素早く大意把握などができたりするわけです。で、このパターンの子は洋楽を聞いてたりすることが結構ある、というのは英語の先生だったらなんとなく肌感覚で分かってもらえるかと思うわけです。まぁ従来の文法問題や英文和訳みたいな翻訳作業がメインのテストだと点数的にはあまりパッとしないのですが、パッとしない点数の割に英語の授業は楽しそうに受けていて、授業中のやり取りなんかを見ていると決して英語がわかってないわけじゃなく、まぁよく使われる言葉だと「センス」で解いてる、みたいな子ですね。実際こういう子が、学校卒業したあといつの間にか海外に行ってたりとか…。

とまぁ、ここまで書いときながら、洋楽が良さげだからといって、単に生徒に歌わせて終わりではあまり意味がないとも思うわけです。基本的に外国語学習においては「理解できるレベルの内容のインプット」が大量に必要なわけで、その際に使う素材として、洋楽などは生のリアルな英語であるため、その内容を生徒が理解できるのであれば良いわけで、さらにそこにメロディーがついて子供たちも遊び感覚で練習ができるのであれば「なお良し」となるわけです。

繰り返しになりますが、歌詞の意味がわかってなくて単に英語の歌詞を100回歌ったところでそれは英語力の向上という点ではあまり効果は出ないだろうと思うわけです。


英語ができない...

センター試験2日目を受験中の高3&浪人生 に入試2日目を受験している小学6年生は悔いのないように頑張って欲しいものです。

それにしてもホント毎年毎年、入試のシーズンって狙い撃ちしてきたかのように激寒になりますよね…(-_-;)。まぁ受験生は一生に数回のことなのでしょうが、入試会場まで応援に行かれている塾・予備校関係者の方は毎年この季節は底冷えの中、朝早くから学校の校門周辺に待機して受験生を激励されているわけですから本当に大変です…。

 

さて、表題についてなのですが、お子さんが、あるいは自身が「英語ができなくなった」or「英語ができない」という場合、まぁもちろん色々な要因は考えられるわけですが、こと対象となる方が中高生の場合、ほぼ間違いなくその原因は

「英語ができない/できなくなった環境に身を置いている」

ことであるわけです。

ここを無視して塾や予備校、家庭教師をつけたところで多分(というかほぼ確実に)あまり何も変わりません。つまり、英語ができなくなったからといって「とりあえず塾・予備校に入れとったら、あるいはとりあえず家庭教師をつけとったらなんとかなるやろ」という発想はかなり危険なわけです。

もちろん、通塾や家庭教師の先生に週に1回自宅に来てもらうということで環境は確かに変わると言えば変わるのですが、所詮それは1週間(=168時間)のうちの1〜2時間の話であって、しかも週に1回だけの話ということになるとそのパンチ力はかなり弱くなるわけです。

まぁ例えとしてはなんですが、「ダイエットしなきゃ」という人が週に1回、1〜2時間ジムに通うものの、それ以外の時間は暴飲暴食へっちゃらです、間食万歳移動はもちろんタクシー、エレベーターどこですか?みたいな生活を送るようなイメージですかね。

残念ながらこの方がダイエットに成功する率はかなり低いであろうということはなんとなくイメージできると思うのですが、英語に関しても同様のことが言えるわけです。

LEGLABOももちろん週1の通塾が原則で、現時点で英語力に特に問題を抱えていない生徒はこれで別段不都合は生じないのですが、少し英語力の厳しい生徒となると、このやり方を機械的に押し付けてもあまりうまくいきません。そこには一人一人に対する「見立て」が必要となってきます。さらには通塾が始まったあとは、病院の経過観察やリハビリみたいな処置が必要になることもあります。

こういうことをお伝えするとまぁ普通に「めんどくせー」と思われる方は当然多いと思うのですが、この「めんどくせー」ということをすっ飛ばして「効率的に」とか「◯◯だけをやればOK」みたいな一瞬非常に耳あたりの良い悪魔の囁きに傾いてしまうと、のちのちもっと「めんどくせー」ことが起こります。

 

「効率的な」やり方

「◯◯だけをやれば俺・私は大丈夫」という自己分析

でうまく行っている人というのは、そもそも端から英語では困っていない人です。

 

そもそも苦手とするものの克服において、「効率的にやる」というフレーズは「右に左折しろ」と言うことと同じくらい奇妙に聞こえることに案外皆気づきません。

また、英語は言語であり、言語習得はクロールを習得することと全く同じというわけにはいかないわけです。「◯◯だけやってればOK」みたいなことが本当だとすれば、今頃日本人は誰も英語で困ったりはしていません(全員とは言わずとも大概の日本人がクロールができるように)。

つまり、言語習得にはある程度の時間(=忍耐=ある日突然、音の洪水だったものがクリアーな英語に…みたいなことはすぐに起こらない)と労力が必要であり、気をつけないといけないのはその労力にどういうアプローチをかけるか?ということであって、ここに英語講師の力量は問われていると私などは思うわけであります。

学校現場ではどんどんアクティヴラーニングが取り入れられていっていますが、今後英語指導におけるアプローチではティーチャーとしての役割よりもむしろファシリテーターとしての役割がますます増えていくのかなと思うセンター2日目のお昼前のひとときでした。


身体が反応する

高校入試の発音問題で

want と won't

この2つの単語の下線部の発音が同じなら◯、違うなら✕をつけよみたいな問題があるのですが、これ、高校入試で出題されるような問題ではあるのですが、意外と中高一貫で上がってきた生徒だと高3生でも普通に間違えることがあります(今回はこの発音・アクセントタイプの問題の是非はひとまず横においておきます)。

これ、正解は「✕」でして、あえてカタカナ発音で書くと

wantはウント

won'tはウオウント

となるわけです。

まぁ高校入試を経験した、ある一定以上の英語力を持つ真面目な高校生は、これを「知識」として知っていることが大半だと思います。つまりこのような「発音問題」としてペーパーテストで出題されると、確実に得点してくるわけですが、その一方で、そのような生徒でも含めて、リスニングテストとして音ベースで出題されるといきなりその理解度は怪しくなってくるわけです。

センター試験のリスニング放送文の中で「she won't be in Tokyo」というフレーズが出て来るのですが、このフレーズを「彼女は東京にいたい」すなわち「she wants to be in Tokyo」と解釈するケースが出てくるわけです。しかも、前後の放送文から、これを「she wants to be in Tokyo」と解釈することは「文脈上はありえる」わけです。

その際に、「因みにwantとwon'tって発音違うって知ってた?」と確認すると、結構な頻度で「知らない」という返事になることがあり、そうなると大概なケースで、このことを知った受験生は「耳だけでwantとwon'tの識別ができないといけないんですか!?」とパニクるわけですが、これはそもそもがそういう次元の話ではないわけです。

放送文を聞いている段階で、正しく理解できている生徒というのは「ウオウントかウォントか?」に意識を向けているわけではなく、「ウオウンビー」と聞いて「won't be」と理解しているわけです。そういう生徒にとって「ウオウンビー」と「ウォンツトゥビー」は明らかに発音が違うため、間違えようがないわけです。そしてここからが大切なのですが、放送を聞いてこの部分を誤解した生徒も「sheは3単現なのでwantではなくwantsが正しく」且つ「一般動詞wantsの後ろに原形のbeが来ることはなく、必ずto beにしないといけない」という文法知識は当たり前ですが、普通に100%完璧に理解しているわけです。ところが、いざこれが音声として一気に流れてくると、上記のような基礎的な文法知識が完全に吹っ飛ぶわけです。

すなわち、ここは「頭」ではなく「身体」が「ウオウンビー」にすぐに反応するのが本来の姿であり、

「wantとwon'tは発音が違うよ」

というような知識は何の屁のつっぱりにもならんわけです。ホント英語って勉強じゃなくて練習せんことには何にもならんって痛感させられる瞬間ですね…(-_-;)


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